2023年05月15日
社会・生活
編集長
舟橋 良治
中国はかたくなに続けていた「ゼロコロナ政策」を昨年12月、突如とも言える形で放棄し、世界を驚かせた。その背景には、多くの学生や若者らに広がった「白紙デモ」があったとされる。白紙を掲げて「共産党、退陣」「習近平は退陣を」と叫ぶ学生らの声は、1989年の民主化運動よりも影響が深刻、との指摘が出ていた。抗議の推進力として、人々を結びつけたSNSなどメディア(テクノロジー)の力があった一方で、国民を監視し、自由を奪う手段としてもメディアは機能している。
メディアを介したせめぎあい、その影響力はどのような方向に向かうのか。その姿は、さまざまな国や地域、人々の今後を左右する。
天安門事件として記憶される民主化運動が1989年に中国で起きた時、携帯電話は約3キログラムの重たいショルダーフォンだった。しかも、高額で一般には普及しておらず、SNSといったコミュニケーション手段もなかった。中国の学生は素手で街頭デモを行って抗議し、そして封じ込められた。
しかし昨年12月の白紙デモには台湾や米国、日本など海外の若者も呼応。空間を超えた抗議のうねりは、SNSなどのメディアがもたらしたのは間違いない。
誰とでもつながるのが可能だったからこそ、中東・北アフリカ各国に広がった民主化運動「アラブの春」と同様に多くの人々に共感が広がり、行動を促した。
学生らがネット上に発したメッセージは中国政府が次々と削除していったというが、それでも削除されるまでの短い時間に抗議の声は広がった。各地で起きたデモは自由を求めて政府を批判しており、学生らは大きなリスクを背負い込み、多数が逮捕された。
新たなメディアが従来とは異なる精神をもたらしたと言えるのではないだろうか。そんなメディアの力をカナダ・トロント大学教授などを務め、文明批評家でもあったマーシャル・マクルーハン氏が1950~60年代に予言していた。
「メディアはメッセージである」-。マクルーハン氏は、メディアと人間の関係や影響を斬新な視点から論じたことで知られる。1964年に著した「メディア論 人間の拡張の諸相」はメディア論の古典となっており、メディア(テクノロジー)とメディアが運ぶ情報が別物で、「より重要なのはメディア自体だ」と指摘し、世界的に注目を集めた。
メディアを新たな視点からとらえ直したマクルーハン氏の独自性は、メディアによる人間の「機能」の拡張、強化に着目した点にある。「機能」という表現は耳慣れないかもしれないが、知覚や視覚、聴覚などは人が持つ大切な機能で、そうした機能が新たなメディアによって拡張、強化されれば、拡張された知覚や視覚などが社会の変革を生むとの分析を展開した。
例えば、グーテンベルクが発明した活版印刷は中世の欧州に生まれた代表的なメディアで、聖書を誰でも読めるようにした。その結果、宗教改革の嵐が吹き荒れたのだが、影響は宗教改革にとどまらなかった。
聖書以外にも情報や知識を迅速に獲得、蓄積する新たな手段として普及。印刷物を通じて、同じ言葉や文字を使う多数の均質な人々が生まれ、それまでの郷土・部族精神に別れを告げて現代につながる近代国家の形成につながった。印刷技術というメディアが人々の機能を拡張した結果だった。
マクルーハン氏の眼力は、現代のソーシャルメディア時代も見通していた。1950~60年代は、機械技術に基づく工場生産、仕事の専門化・細分化が進展していた。流れ作業は労働を単純化し、いわゆる疎外も拡大。マクルーハン氏は、そんな状況がメディアによって変容すると論じた。
「(電子技術が)人間の中枢神経を拡張して人類全体を自身の内に取り込んで同化し、共感が広がる」―。当時黎明期にあった電子技術によって機能が拡張、強化され、人々に共感が広がる未来を予想したのだ。
これは、インターネット・SNSというメディアを介して人々が簡単に交流する現代そのものだ。「アラブの春」はSNSが人々をつなげたからこそ起きた。共感が社会を動かしたのは間違いない。
中国政府がゼロコロナ政策を放棄したのは、学生らの変容や抗議の実情を理解したからだろうか。メディアが中国という権威主義的な社会を変えていく原動力になるとの見方がある。その一方で、中国政府がメディアを活用して監視を強化し、学生らの動きを把握した上で計算づくで「ガス抜き」をしたとの見方も根強い。
真相はやぶの中だが、いずれにしてもメディアが今後大きな役割を演じていくだろう。
メディアをめぐるせめぎあいや弊害は、市民同士の間にも起きている。同じ考えの仲間がSNSなどを通じて交流を深める「フィルターバブル」の中にいると、反響しあって共感が拡がる「エコチェンバー(反響室)」現象が生まれる。
同じ考えの仲間内だけに共感が広がるとどうなるか。トランプ米前大統領支持者らによる連邦議会占拠事件、ブラジルの首都ブラジリアで起きたボルソナロ前大統領支持者らによる連邦議会や最高裁判所の襲撃など、SNSが社会の分断を生む事態が各地で起きている。
マクルーハン氏は「グローバル・ビレッジ(地球村)」という概念を広めたことでも知られるが、メディアが人々に共感を拡げて、地球が一つの村のように親密な「地球村」を構築するのかどうか。不透明な面は否めない。
社会の分断を生みかねないメディアの現状、個人情報保護の視点などから各国は、メディアに対する規制に動き出している。その対象は、グーグルなどプラットフォーム事業者に加えて、急激に進歩している対話型AI(人工知能)サービス「チャットGPT」など生成AIなど広範囲に及ぶ。
メディアが人に与える影響と未来について、一度立ち止まって考えてみる時期なのだろう。
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舟橋 良治